甲子園と欅坂46
高校野球では一人のエースピッチャーの力だけで甲子園にたどり着いてしまうこともままある
他の選手たちが非力なわけではないのだが相対的に力の差を感じる
球数制限のない今の高校野球だと一人で投げ切ることもルール上問題はないが、当然負荷は高くなる
これと同じことが欅坂46のこの2年間に起きていて、いまエースが重大な岐路に立たされている
メディア出演においては今や各メンバーたちが多方面の活躍をしているが、楽曲においては平手無しでは世界観が成り立たない
毎回楽曲の解釈に正面から向き合い、メディア出演やライブの度にその日その日の表現を魅せようとする平手
その度に周囲の評価と期待は高まりますますハードルが上がっていく
いつしか自分の亡霊と戦う日々
精神が消耗していくのも時間の問題だった
センターが休みの状態でのライブパフォーマンス
ポジションを空けたままでは表現が大きく変わってしまう場面もある
振り付けのタカヒロ先生はこれで納得しているのだろうか
「月曜日の朝、スカートを切られた」ではもはや滑稽とも思えるシーンも
漢字(21人)の楽曲をひらがな(12人)に落とし込む時工夫をするのに、どうして一人欠けたところはそのままにするのか
「待っている、というメッセージ」
というのは響きは美しいが実際は体のいい手抜き
一番納得してないのは平手自身なのかもしれない
何書いてるんだ?ライブに行っただけの話なのに
推しメンの紗理菜ちゃんがかわいかったって話なのに
明日も頑張ってねーさりーちゃん!
MCは短めにw